われわれ16期の仲間が定期的に集まるようになったのは、新宿で【還暦の祝い】をやって以来であるから、もう5年にもなる。岸本六蔵大幹事の宜しきを得て、須田姉御がそろそろ集まりましょうよと一声掛けると、その号令に男どもは唯々諾々と従うことを常としている。
昨年の9月には、秋田で【緑寿の会】があり、東京から大挙して押しかけた。パーテーの明くる日は、【秋田カントリークラブ】でのゴルフも一緒で、帰りには田沢湖の温泉で一泊した。あの集まりも、ものすごく楽しかった。
今回の【新年会】の集まりは、それ以来である。わが16期の仲間は関東近辺に60人もいるという。大幹事の呼びかけに、大概、集まってくるのは10人内外だ。これじゃいけないと、岸本・遠藤の永久幹事は作戦を練っていた。
そういうこととも知らず、今晩、お気楽に集まったメンバーは10名だった。会場は、これもいつもの四谷の某所である。久し振りに、長谷川陽三君、本間新三君、熊谷重雄君も顔を見せていた。その席で渡されたのが、卒業時の進路表だ。いや~、懐かしかったね。それにしても、進学希望者が15%もいたのには意外だった。幹事のの配りようには感心した。
どうしても話題になるのが、それぞれ同期生の消息だ。そこで分かったのだが、お亡くなりになった仲間の何と多いことか。さらには、消息不明の人間も何人かいた。進路表を見て思ったのだが、同じ職場で退職まで全うしたのは何人いたのだろうか。厳しかったサラリーマン生活とはいえ、心なしか金融関係に勤めた方が、最後までいたというケースが多かったのではなかったか、と推測する。
この16期生の仲間で一年に2度、3度と会ううちに、だんだん離れ難くなって行くというのは、どうしたことだろうか。仲間内で、その人間の中味を知れば知るほど、本当に良い奴ばかりだ。これこそが、わが“秋商の伝統”ということだろうか。
それぞれが3分間スピーチで、最近の心境を語り合った。豪の者もいて、10分以上もダラダラ話していた奴もいたのだが…。阿部一夫君は、法政大学駅伝部のコーチをやっているのだが、タッチの差で今年の箱根駅伝の出場権を逃したのには、皆さん同情した。ぜひ、来年こそ出場してもらいたいものだ。そういえば、遠藤武二君も、最近はマラソンに挑戦しているとか。3月の「京都マラソン出場」が決まったと言っていた。
こうやって集まれるのも、皆さん健康だからである。しかも“われら秋田シュ”だ、自分をさておいて言うのも何だが、よく飲むね。お銚子40~50本も並べたのではなかったのだろうか。紅一点の須田ちゃんまで酔っぱらったのか、「仕事が欲しい!男が欲しいよ!」と叫んでいたが、そんな話しにはだれも見向きもしない。
この会場で3時間もいただろうか。普段はこれで散会となるのだが、この晩は、皆さん何か別れがたかったね。駅前の飲み屋で二次会をしよう、ということになり、ほとんどの人間が参加した。ここでも、一升瓶一本が空いた。
次の会は、4月上旬、千鳥ヶ淵でお花見をしようとのことだ。できるだけ多くの仲間が集まると良いね。
(記:佐々木進三) |