秋田市の「与次郎」
秋田市が中心市街地再開発地区「エリアなかいち」に設置したマスコットキャラクター「与次郎」の石像が悲鳴を上げている。4月中旬にお目見えしたばかりなのに、わずか2週間ほどで4度もひげを折られた。心ないいたずらに、市も市民も怒っている。
与次郎は高さ約1.5メートルの御影石製。左右各3本のひげは長さ約20センチの樹脂製で、子どもの力でも折ることができる。
市によると、最初の被害は4月22日に見つかり、左右の一番下1本ずつが根元から折られた。25日に修復したが、26日には右の真ん中がほぼ根元から折られた。
その後 県内の男女4人が「誤って折った」 と申し出があり悪意がなかったことで一件落着、連休明けには修復されるもよう。
ひげが抜かれ、鉢巻きの結び目も取り外された与次郎石像
投稿 秋田県ゆかりの者 東京都在住 佐竹 翔
「与次郎」の伝説とはーーーー
●与次郎稲荷
千秋公園はかつて神明山といい、秋田藩初代佐竹義宣が城を築いたところである。山は竹やぶでおおわれ、狐の良いすみかとなっていたが、工事が進むにつれその居場所もなくなっていった。そのころ、佐竹公の枕元で夜な夜な怪しい物音がするようになり、眠れぬ夜が続いていた。
そんなある日の夕暮れ、殿様は庭先で1匹の白狐に出会った。狐は、「私はこの山に住んで300年あまりになるが、このままでは住処がなくなってしまう。もし今までどおりここに置いてもらえるなら、お城が続く限り働きたい」と申し出たので、殿様はこれを許した。間もなくして、城下に与次郎という、恐ろしく足の速い飛脚が現れた。与次郎は、早い者でも6日かかる江戸と秋田の間を、たったの3日3晩で走った。与次郎は秋田藩にやとわれ、大変に重宝された。
ところが、与次郎が活躍するにつけ、その素性を怪しむ飛脚の者たちが現れた。彼らは、「秋田と江戸の間を3日で走るなど、人間とはとうてい思えねえ。もしかしたら、キツネかもしれねえぞ」と噂し、やがて与次郎をだましてしっぽをつかんでやろうという話がまとまった。
隣の国の六田村(山形県東根市)は、飛脚の中継ぎの場所であった。飛脚の男たちはそこで油揚げに毒を入れ、道端に用意した。ちょうどそこへ、江戸から帰ってきた与次郎が通りかかった。腹が減り疲れきっていた与次郎は、一度通り過ぎたものの、あろうことかふらふら戻ってきてその油揚げを口にしてしまった。そして、与次郎は毒にあたって命を落としてしまった。
六田村で飛脚たちはよろこんで酒盛りをした。ところが、男たちは急にもだえ苦しみ、狂い死にしてしまった。また、その年の稲のできはひどく悪く、ほとんどとれなかった。六田村では、与次郎の祟りをおそれ与次郎八幡を祀ったという。
また、佐竹の殿様は、与次郎の姿が見えなくなったので調べさせたところ、六田村での悲しい知らせが届いたので、城内に稲荷神社を建て、与次郎を祀った。千秋公園の与次郎稲荷神社がそれである。
(『秋田の伝説』(日本標準)より)
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